世界仰天ニュース(2020年4月1日)ダイエット仰天チェンジその2の内容ネタバレと感想

テレビ番組

2020年4月1日(火)放送の「世界仰天ニュース」は、「地味に痛い&危険な食べ物!犯人は誰?未解決事件に迫る!20年突入!仰天4時間スペシャル」という内容が放送されました。
 
 
人気企画「仰天チェンジ」も放送されました。
 
 
この記事では、2020年4月1日(火)放送の「世界仰天ニュース」の仰天チェンジの内容ネタバレその2と感想について、お伝えいたします。

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「世界仰天ニュース」のダイエット仰天チェンジその2の放送内容一覧

【出演者】
 
MC / 中居正広、笑福亭鶴瓶
アシスタント / 久野静香
 
【ゲスト】
 
・タモリ
・深田恭子
・ヒロミ
・玉森裕太(Kis-My-Ft2)
・生駒里奈
・陣内智則
・磯山さやか
・小宮浩信(三四郎)
・3時のヒロイン
・放課後ハートビート
 
 
これまでの「世界仰天ニュース」の内容については、こちらを見てみてください。
 

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「世界仰天ニュース」のダイエット仰天チェンジその2の内容ネタバレ

謎めく赤ちゃん霊

去年、ある女性の恐怖体験が世界中で話題に。

恐怖体験をしたのは、アメリカ・イリノイ州のマリッツァ・シブルスさん。

夫のコーリーと二人の子供に恵まれ、幸せに暮らしていた。

ある日の夜、長男のリンカーンが寝たので、カメラのスイッチを入れた。

アメリカでは、子供を一人で寝かせる習慣がある。

そこで見守りようのカメラを設置し、別室から確認する。

この日、夫のコーリーは夜勤のため家を出ていた。

つまり家には、マリッツァと子供の二人だけ。

寝室に戻ったマリッツァ。

ふとモニターをみて驚いた!

ぐっすり眠っているリンカーンの横に、何かが・・・

それは赤ちゃんのようだった。

すぐにリンカーンの元へ。

ベッドに近づくと、そこには赤ちゃんの姿はない。

寝室に戻り、もう一度確認してみた。

すると、やはり赤ちゃんの姿が見える。

パニックになるマリッツァ。

写真を撮って、夫に送った。

すると、夫はよだれのあとが顔に見えるだけだという。

そして翌朝、謎が解ける。

ナイトモードの赤外線カメラに笑顔の赤ちゃんのラベルが映っただけだった。

これが赤ちゃんの幽霊の正体。

食卓に絶対置いてはいけない

地味に痛い経験をした祐一さん。

祐一さんは、絶対顔出しNG。なぜなら、学校の先生だから。

2016年1月。茨城県。

祐一さんがまだ帰ってくる前、娘があるものを持ってきた。

温泉卵みたいなスライム。

すると、お母さんがよからぬことを思いつく。

実は、前から夫を驚かせるのが大好きなお母さん。

リアクションみたさに、いたずら三昧。

いつも使ってる小鉢に温泉卵みたいなスライムを入れてみた。

そしてお母さんはまさかのうっかりをしでかす。

夜遅く、お父さんが帰宅すると、お風呂に直行。

その間にお母さんが夕食を用意。
で、スライムは紛らわしいところに。
後でネタばらししようと思っていたことをすっかり忘れていたお母さん。
そんなことなど知らないお父さん。
演じるのは、ヒロミ。
実はもともと超早食いのお父さん。
流し込むようにどんどん食べ進める。
この日に限って、普段かけてるメガネを洗面台に置きっ放しにしていた。
なので、なんの疑いもなくスライムを丸ごとごっくんと飲み込んでしまった。
なんか変な感じ。

で、お母さんに聞いてみた。

するとスライムだという。

もちろん、スライムは食べちゃいけない。

水を飲んで胃内のスライムの成分を薄める作戦に。

一晩中飲み続けたので、超下痢に。

しかもスライムは行方不明のまま。

なので、医師に相談した。

医師を演じるのは、陣内智則。

その後、本人に聞いてみると「胃酸で溶けているかもしれないから問題ないでしょう」と言われたそう。

大人も子供も飲み込まないように。

おじいちゃん主催、最悪の誕生日

2018年。三重県津市。

母と娘が苦しんだ。

その原因を作ったのはおじいちゃん!

山でしいたけを見つけると、嬉しそうに持って帰った。

その日の夜。

近所に住む娘と4人の孫たちがやってきた。

10月に誕生日を迎える2人のお祝いだった。

だが、可愛い孫の誕生会に出されたのは、地味な鍋。

しかも、あのキノコが大量に。

なんか知ってるしいたけと形も色も違う・・・

とりあえず、一口。「苦っ」

みんなやばいともおったが、鍋を完食。

その帰宅中、猛烈な吐き気が。
三女が家に着くなり嘔吐。

それに続いて、母も、次女も。完全食中毒の症状。

すぐに病院へ。

点滴を打つと、3時間ほどで回復。

そして翌日。

あのキノコを調べてみた。

見た目、症状、発症までの時間が完全に一致。

その名は、ツキヨタケ。

日本では北海道南部から鹿児島まで広い範囲で分布する毒キノコで、食べると食後約30~1時間で嘔吐や腹痛などの中毒症状が現れる。

大抵症状は3時間程度で収まるという。

しかし、なぜ彼女たちは変だと思っていたのに完食してしまったのか?

実は、お酒ばかり飲んでいたおじいちゃん。

みんなの箸がなかなか進まないのをみると、突然不機嫌に。

超めんどくさい感じになった。

さらに、おばあちゃんの遠慮しないで食べなさい攻撃。

幸いにも、末っ子はケーキに夢中で鍋は食べなかった。

キノコの色が嫌いななすに似ていてあまり食べなかった長女は軽症で済んだ。

実はおじいちゃんは、キノコ狩り経験ゼロのど素人。

しかも自分はお酒だけ飲んで鍋は一口も食べなかった。

種類によっては非常に危険な毒キノコ。

ツキヨタケは、毒キノコの中でも最も間違われて食べられている。

せっかくの誕生日は最悪の1日に。

正体不明のキノコには要注意!

おいしいキノコで命の危機

神奈川県に住むキノコが大好きな皆川さん。

この日もキノコ狩りにきていて、ベニテングタケを見つけた。

ベニテングタケと言えば、赤い傘に斑点。

このキノコの最大の特徴は、毒があること。

しかし、食べてみることに。

それにはこんな理由が。

実は、ベニテングタケは、キノコ仲間の間では憧れの存在。

驚くほどの美味だというが、誰も試すほどの度胸はない。

というわけで、皆川さんは写真を撮り、仲間に送るとベニテングタケを食べると宣言!

早速調理。

妻の心配もよそに、アルミホイルにベニテングタケを置いた。

調理の写真も仲間に送る。

こうして、調理したベニテングタケを口に。

すると・・・

大地の恵みを凝縮したような旨味が口いっぱいに広がった。

しかし、30分後、胃が強烈にムカムカし、ありえない吐き気が襲う。

さらに!視界が暗くなったのだ。

その後、七転八倒して、なんとか症状は治った。

やはり、毒キノコは絶対に食べないこと!

高級フルーツの食べすぎに気をつけろ

イチジク。

イタリアンやタルトなど様々な料理に添えられる果物。

実は食物繊維が豊富で、便秘解消の助けになるのだが、何も知らずにバカ食いし、地獄の苦しみを味わった人がいる、

ジムの仕事をしている山本愛さん。

彼女の地元、兵庫県は、イチジクの名産地で、彼女もイチジクが売っていると毎回買うほど大好きだった。

そして、去年の9月。

残業でいつもより遅くなったある日、この日もイチジクを購入。

今から何かを作るのも面倒で、イチジクだけで済ますことに。

お腹が空いていた彼女は、5個入り全部食べちゃった。

さらに、2パック目登場。

次々と胃の中へ。結局10個全部食べちゃった。

すると、イチジクの便秘解消の効果が出てきた。

ベッドに入って10 分後。胃のあたりに熱を感じ、目が覚めた。

そして、イチジクの食べ過ぎで猛烈な下痢が。

イチジクにはペクチンという水溶性の食物繊維が含まれていて、適度であれば便秘解消の助けになるのだが、ペクチンを過剰に取りすぎると下痢になってしまう。

しかも、彼女はいつも皮ごと食べていた。

この食べ方がまずかった。

しかも食べた量も多すぎた。

その結果、激しい吐き気も。

しかも、数分おきにとめどなく。

実は、イチジクの皮には、ベストアルデヒドという渋みや苦味の成分が含まれていて、過剰に取りすぎると、嘔吐や胃痛を引き起こすことがある。

そのため、調理で皮ごと食べる場合、茹でるなどの処理をした方がいい。

ちなみに、大人が食べて良いい1日のイチジクの量は、3個〜4個まで。

10個も食べた彼女の吐き気はなんと朝まで続いた。

たとえ、体にいいものでも、食べ過ぎは毒。

適切な量はしっかり守って食べましょう。

多くの謎 一家4人 殺人・放火事件の真実

2004年。9月9日。午前4時ごろ。

ある民家から火災が。

そして、恐ろしい事実が判明する。

母と子供3人が殺害されていたのだ。

愛知県豊明市 母子4人殺人・放火事件。

実は、まだ解決されていない。

当時疑われたのは、一人生き残った夫だった。

この事件は、不可解なことが多い。

未解決事件の真相は?

愛知県豊明市沓掛(くつかけ)町。

この街に住む一家。

大手ゴム製造会社に勤める夫。

そして、7歳年下の妻利代。

陸上部でスポーツ万能の長男、祐基。

日中、母に代わって家事を手伝うしっかり者の長女、里奈。

そして、甘えん坊の次男正悟。

夫婦は同じ会社で出会い、夫28歳、妻21歳で結婚。

長男の出産で妻は退社下が、働くことは好きだった利代は、子育てが落ち着くとパートを。

そんな妻が最も信頼を寄せる人物が、車で1時間のところに住む姉のとしさんだった。

姉妹は、毎日のように連絡を取り合い、食事の献立や子供達のことなど些細なことでも報告し合っていた。

そんな利代に恐怖を覚える出来事が。

それは、火災が起きる3年ほど前。

夫の車が車上荒らしに。

車内には金目のものはなく、盗られたものはなかったが、恐怖を感じた利代さんは番犬に芝犬を飼うことに。

ジャッキーと名付けた。

さらに、利代さんは玄関の鍵も厳重に。

玄関には内鍵を1つ、勝手口には2つ取り付けた。

そんな家族に悲劇が起きた。

2004年。

アテネオリンピックが終わった9月8日。

事件の前日。

夜の8時ごろ。妻にメールが。

夫からだった。

一方、姉のとしさんと一緒に住んでいた利代さんの母は、明日9月9日は末っ子の正悟の誕生日。

「おめでとう」と電話をかけようとした・・・

翌朝に掛け直すことに。

その頃、夫は会社にいた。

提出期限が迫っていた資料作成に追われていた。

再び、妻にこんなメールを。

それは「物置に鍵を置いて内鍵を開けて置いてね」というお願い。

実は、夫の残業は滅多にないことだったが、明日の息子の誕生日をお祝いするため、早く仕事を終わらせたかった。

そして、午後11時ごろ。

妻と電話している。

そのおよそ5時間後。

朝の4時25分。隣の住人が火災に気づき、消防署に通報。家は炎に包まれていた。

一体、誰が火をつけたのか?

そして、現場近くに住む夫の兄に連絡が・・・

午前4時半すぎ。

会社にいる夫は兄から連絡を受けた。

会社から家までは車で1時間。

午前5時33分。

火は消えた。

夫は現場に到着すると、泣き叫んでいたという。

そして、4人の家族の遺体が見つかったと知らされた。

この日は、次男の9歳の誕生日だった。

遺体は、焼けた状態がひどく慎重に解剖が行われた。

遺体に刺し傷があったことから、殺人・放火事件と断定したのだ。

管轄の愛知署に捜査本部が置かれた。

1階リビングで次男の正悟くん。2階のそれぞれの部屋で妻の利代さん、長女の里奈ちゃん、長男の祐基くんが殺されていた。

おそらく、家族が眠りについたあと、何者かが家に侵入。

母と子供3人を殺害し、その後犯人は家に火を放った。

そして、この事件は数々の謎があった。

謎①「殺害方法」

長男、次男は鈍器で撲殺。

妻と長女は、刃物で刺殺。

妻の傷の深さは10㎝以上のものもあり、肺近くまで達していたという。

なぜ女性二人だけめった刺しだったのか?

なぜ、犯人はこんな残忍な殺害をしたのか?

女性二人は、うつ伏せ、男性二人は仰向け。

殺害状況の違いに何か意味があるのか?

謎②「遺体には抵抗した痕跡がない」

用心深い母親や運動神経のいい長男に抵抗されず4人も殺害出来るのか?

家の間取りを把握していたのか?

もしや睡眠薬を飲まされた可能性もあるが、愛知県警は公表できないとした。

一体、犯人は誰なのか?

捜査により、火元は1階の可能性が大きかった。

灯油らしき成分が検出されたが、運んできた容器は現場にはなかった。

一方で、家族以外の凶器、指紋、血痕、遺留品は見つからなかった。

当初、火事だと思っていたため、多数の人が出入りし、犯人の足跡を特定するのは困難だった。

現場には、金目のものが多く残っていた。

盗まれた形跡もなく、強盗ではないと考えられた。

唯一生き残った夫。様々な状況から疑われることになった。

夫が疑われた理由1「夫婦間に問題が」

それは、次男が幼稚園に入った頃。

事件の4、5年前。

夫は帰りが遅くなるだけでなく帰ってこない日も多くなっていた。

そんな時、カードの明細書に夫が真珠のネックレスを購入していた。

不審に思った妻は、興信所で調べてもらった。

夫は取引先から名古屋の高級クラブで接待を受けたのをきっかけに、そのホステスに会うために、何度も通いつめ、愛人と同棲し、生活の面倒まで見ていたという。

妻は夫の浮気相手と暮らしてることを知ると、そのアパートへ行った。

そして、夫から離婚を要求されたが、子供達の将来や生活を思いためらった。

それでもあまり家に帰らない夫。

冷めきった夫婦。

警察も当初は夫を疑った。

しかし、犯行時刻、夫は会社にいて地理的条件から夫の犯行は困難と思われた。

この事件。ほとんどの人が寝ている朝方の犯行のため、完全なアリバイを証言出来る人はほとんどいなかった。

夫が疑われた理由②「勝手口の鍵」

それは身内しか知らない勝手口の鍵。

実はこの鍵、妻がパートでいない間、子供達は物置に隠してある鍵で勝手口から家に入っていた。

そして、夫の帰りが遅い時も、勝手口の鍵を物置に隠し、二つあった内鍵は開けていた。

事件の数年前までは夫も玄関の鍵を持っていたが、妻がパートでいない時、こっそり帰ってきては、着替えなどを持ち出していた。

そこで妻は、夫に内緒で玄関の鍵を内緒で替えていた。

自分がいない時、勝手に入れないようにしていた。

なので、夫が夜遅く帰ってくることが分かれば、鍵を物置に置いていた。

犯人は、勝手口の鍵で侵入したのか?

事件後、勝手口と玄関は施錠されたままだったと判明。

一方、窓は火事で全てなくなり、割れたかどうかは分からない。

そして、窓の鍵も全て火に溶け、閉まっていたのか?開いていたのか?判断できない状態だった。

一体犯人は、どこから侵入したのか。

夫が疑われた理由3「愛犬ジャッキー」

番犬ジャッキーは身内以外はとにかく激しく鳴く犬だった。

犯人の侵入経路は謎だった。

しかも、遺体の下には大量の血痕が。

殺人事件と断定するのが遅く、犯人に逃走の隙を与えてしまったとも言われている。

事件から3日後。葬儀が行われた。

あまりにも突然の死で、泣き崩れる同級生たち。

15年ほど前、現場近くに防犯カメラはなかった。

犯人に結びつく有力な情報もない。

様々なメディアで夫に疑いの目が向けられた。

現場近くの兄の家で暮らすことになった夫は、様々な人から誹謗中傷を浴びた。

警察も夫を容疑者として依頼殺人の線も考えてマークした。

事件から3ヶ月。

12月24日。

夫は、初めて心境を書面で伝えた。

その主な内容は、

「事件から3ヶ月の時間が過ぎ、今は事件のことを出来るだけ考えないように過ごしている。そして、家族を守ってやれなかった罪悪感に苛まれている」と。

事件については、真相が分からないにも関わらず、中傷記事が、自分を苦しめていると。

そして、犯人が捕まろうと大切な4人が帰ってこない悲しみを伝えた。

さらに家族のために仕事だけに没頭してきた偏った責任感を悔やみ、大切な家族を守れなかった後悔、悲しみ、罪の意識・・・

それらを抱えて生きていくことが4人への罪の償いだと思っているとあった。

だが、このあと夫は意外なことで逮捕される。

事件から6ヶ月ごのこと。

夫が、会社のパソコンを大量に質に入れ換金していたことが発覚。

不倫や遊ぶ金欲しさの犯行だった。

夫は詐欺罪で捕まり、犯行を素直に認め有罪判決。

その判決直後、異例の謝罪会見を行った。

そして、殺人・放火事件の解決を訴えた。

この会見を最後に、夫は表で思いを話すことはなかった。

そもそも「夫が犯人」とすると、多くの疑問が残る。

残業中、往復しても2時間。

殺害して返り血を浴び、証拠を完全に処分出来るのか?

同僚にバレずに会社に戻れるのか?
何より、我が子をあんな残忍な方法で殺害出来るのか?

また妻は、事件の数年前、家の方を見ているスーツ姿の2人の男を目撃して以来、夜中、自宅周辺に不審者がいて怖いと知人に話していたのだ。

捜査は、逮捕に繋がる証拠は見つけられず、時間だけが過ぎていく。

そんな中、今月愛知県が有力情報をメディアに公開した。

情報提供者は、ダンプカーの運転手。

事件当日。

火災現場の方向から出てきた車を目撃。

目撃された時刻は、9月9日午前3時40分頃。

ダンプカーの運転手は、現場近くの県道を北に向かって走ってると、青色の軽自動車が、現場近くの方向から県道に出てきて北の方へ。

ナンバーは尾張小牧だったという。

尾張小牧は、愛知県の北のナンバー区域。

一体なぜ、青い軽自動車は、あの時この脇道を走っていたのか。

残念ながら、ナンバーの数字や文字は覚えていなくレンタカーかどうかも分からなかった。

車の目撃は3時40分。

それは火災が起きる20分前のことだった。

となれば、軽自動車に乗っていた人物は犯人ではない?

しかし、事件から2年。

現場から時限発火装置のようなものが発見された。

発火時刻を送らせていた可能性があるという内容。

これが事実であるなら、あの軽自動車も事件に関わっていた?

事件から6年。

2010年4月27日。

殺人事件の時効が撤廃される。

しかし、未だ犯人に結びつく証拠、有力な情報はない。

風化していくかもしれない事件。

このままでは亡くなった4人の家族が報われないと、利代さんの母とお姉さんは、家族の生きた証を伝えるため、なんども講演活動を行ったり情報を求めるためビラ配りなどをしている。

遺族は些細な情報でも入り犯人逮捕に繋がることを願っている。

事件から15年半

これまで愛知県警に寄せられた情報はわずか150件。

番組では、情報を求めている。

家族の夢・・・息子に隠した母の愛

ある写真。

赤いTシャツの上にはメダル。握りしめた野球ボール。

そこには切なくて優しい家族の物語があった。

2013年。宮崎県宮崎市。

うちには毎晩元気な声が響き渡っていた。

奥野竜也。中学1年生。

硬式野球チームの主力選手として活躍していた。

野球を始めたのは小学校1年生の時。

おとなしい性格ではあったが、運動能力には優れていた。

そこに目をつけたのが、元甲子園球児でもあった父 豊一郎。

ジャイアンツでも活躍した木村拓也は共に甲子園で戦ったチームメイト。

そんな父は、竜也のチームのコーチを務めていた。

竜也の夢は甲子園。

家族みんなの夢でもあった。

寝ても覚めても野球のことばかり。

それを、母ゆかりは優しく見守っていた。

ところが、そんな一家に暗雲が。

母ゆかりの乳がんが見つかった。

そのガンはすでに広範囲だった。

切除は無理。

抗がん剤で進行を遅らせることしか出来ないと判断された。

取り乱す夫の横で、妻は静かに余命を聞いた。

余命、6ヶ月です。

その後、担当医、カウンセラーと今後の話し合いが行われた。

子供達にも告知するよう言われたが、ゆかりは、竜也には普段通り野球に打ち込んで欲しく「ダメです」と答えた。

竜也は、何かあるとすぐ母の胸に飛び込んでくる子供だった。

中学1年生の竜也が、自分の生で大好きな野球を続けられなくなるかもしれない。

そんな思いだった。固い決意だった。

その帰り道。妻は、夫をある場所に誘った。

そこは、自宅近くの写真館。

母ゆかりの切ないほどの笑顔に対して、夫の豊一郎さんは、泣き腫らした目。

この日が、癌と闘うと決めた夫婦の記念日となる。
すでに大学生と高校生になっていた長男と長女には事実を伝えた。

そして、竜也には隠しておいてほしいとお願いした。

こうして、竜也に癌だと悟られないようにする生活が始まった。

入院しながら抗がん剤治療をはじめて10日。

覚悟していたが、副作用で髪の毛が抜けた。

でもそんなことより、見舞いに来る竜也にどう説明するかの方が気がかりだった。

どうしても隠したい。

3週間の抗がん剤投与が終わると、自宅から通院での治療に。

毎日の薬は、バッグの中に隠した。

そして、竜也の前では特に明るく振る舞った。

余命6ヶ月と宣告されてから3ヶ月。

抗がん剤が効いた。

とはいえ、抗がん剤治療は続く。

絶対に完治させる。

そう強く思い、6ヶ月が過ぎ、そして1年が過ぎ、2年が経った2015年の秋。

それは突然だった。

職場で倒れたのだ。

癌は、脳まで転移していた。

すぐに放射線治療が行われた。

そんな中、竜也はリトルシニアでの活躍が認められ、高校は地元の強豪校・日南学園に進学。

甲子園の夢に大きく近づいた。

竜也は、親元を離れ、寮に入って野球に集中することに。

それを勧めたのは父だった。

母は、抗がん剤の副作用と戦いながら、竜也からの何気ない連絡が大きな励みとなっていた。

母は、車で1時間かけ息子に会いに行くのが楽しみだった。
束の間の母と子の時間。

竜也は、中学の頃からコーチである父にはいえないメンタル的なことを母にだけは相談していた。

2時間と決められてる面会に、母はあえて10分と決めていた。

1人で自立しようとしている息子に甘えが出ないように。

自分の不調を悟られないために。

野球部では週に1度、保護者による清掃活動がある。

闘病中の母は必ず参加していた。

寮に入って9ヶ月。

野球部も正月休み。

竜也も家に帰ってきた。

体調は優れなかったが、いつもの数倍をかけて竜也がリクエストしたカレーを作った。

この頃、抗がん剤の副作用で味覚を失っていた。

甲子園の夢に向かって野球に打ち込む竜也に心配などさせられない。

強豪・日南学園は野球部員100人以上。

その中で竜也は、高2の秋に念願のレギュラーに。

これでチームが勝ち続ければ、甲子園の夢は叶うかもしれない。

ところが、ゆかりの病状は悪化していく。

いつも通り笑顔で面会する母だったが、実は運転すら出来ない状態だった。

いつもと同じ明るい母。

竜也も安心したようだった。

ひたすら甲子園を目指す息子の姿が母にとっては生きがいだった。

それから数ヶ月して脳腫瘍によるてんかん発作だった。

緊急手術が行われた。

その後、脳卒中を併発し、意識がなくなった。

一方、甲子園出場をかけた宮崎大会。

竜也の日南学園は順調に勝ち上がった。

集中治療室に入った母には、テレビが置かれ、枕元にはラジオが。

そして、迎えた準決勝。

それは竜也の公式戦初ホームランだった。

興奮の瞬間を母は誰より喜んだはずなのに。

日南学園は勝ち進み、迎えた決勝。

高校最後の夏。

日南学園は、2年ぶりに甲子園に出場。

意識のない母に代わり、病院のスタッフ祝った。

その日、父はある人からの連絡で寮の一室に。

野球部の責任者で八牧部長だった。

実は、このお部長には妻の病気を打ち明けていた。

父親は、八牧部長の言葉である決意をする。

竜也を母のいる病院に連れてきた。

それは見たこともない母の姿。

竜也は全てを知った。

そして、竜也は、俺も頑張るからお母さんも頑張れよと準決勝のホームランボールをお母さんに握らせた。

意識が戻った。
それが冒頭の写真だったのだ。

これが力となたのか、その後意識は徐々に回復。

4日後には、なんと一般病棟に移れるようにまでなった。

とはいえ、脳卒中の後遺症はあった。

言語障害や記憶障害、右半身の麻痺。

2018年。

第100回 全国高等学校野球選手権記念大会

甲子園の初打席は、ツーベースヒット。

母は、竜也の姿を病院から見守っていた。

竜也の活躍もあって、日南学園は一回戦目を突破。

母は、不自由な手で懸命にメッセージ。

「たつや」の文字。

続く2回戦目は内野安打。

野球を始めた小学生の頃からの憧れの舞台。

それはいつしか家族全員の夢に。

日南学園は3−0で惜しくも2回戦目で敗退。

しかし、息子に病状を隠し懸命に闘った息子の夢を見守り続けた母とそれに応えた息子の思いがたくさん詰まった試合だった。

そんな母の病状に奇跡が!!

リハビリを続け、一時期は歩けるところまで回復。

しかし、その後、再びガンが脳に転移。

ゆかりさんは、2019年11月11日、静かに息を引き取った。

去年、日南学園を卒業した竜也さんは、岐阜・中部学院大学に進学し、今も野球に打ち込んでいる。

ゆかりさんの祭壇に飾られた写真は、ガンを告知された日、家族のために闘うと決意した時に撮った決意の写真だった。

母の笑顔が見守ってくれていることが、家族の力になっている。

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「世界仰天ニュース」のダイエット仰天チェンジその2の感想

未解決の一家4人殺人・放火事件で、一刻も早く犯人が見つかって欲しいなと思いました。再現VTRには出てこなかったですが、疑われてた夫の不倫相手にはアリバイがあるのか気になりました。
 
 
一方、最後の家族のお話はお母さんが乳がんの告知を受け、息子の夢を守るために病名を隠し闘病を続けていた母の愛に涙なくては見られませんでした。



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