今回ご紹介するのは2008年7月19日に公開した「崖の上のポニョ」です。
この作品は年内で興行収入155億、観客動員数が1200万人と話題になった作品でした。
しかし子供や大人が楽しめる作品として非常に期待を持たれていましたが、映画を観た人達からの感想は「よくわからなかった…」というコメントが大人からは多くあり、子供たちからはポニョや宗介などのキャラクターが「かわいかった!」と年齢層に分かれた評価となってしまいました。
・よくわからなかった
・不気味
などのコメントもあり、明るいタッチが多く一見楽しそうに見える作品ではありますが、「不気味」と感じてしまう方々の話を聞くと納得される人も多いと思います。
その為、「よくわからなかった」という方々もこの作品がどういうものであるかを理解するとこの作品に対しての本当の感想が出てくるのではないでしょうか。
結末としてはポニョと宗介のラブストーリーのように思われる作品ですが、いまいちスッキリしない方にこの作品を考察を加えて説明します。
どんなストーリーだったのか:ネタバレ
まず、この作品の世界観についていきなり核心をお伝えします。
実はこの「崖の上のポニョ」ですが、「死後の世界に通ずる」話だったのです。
「え?」と驚く方がほとんどかもしれませんが物語の後半から、町が海に沈んでしまうシーンや足の悪かった老人たちが突然走り出せるなどといった不思議な展開になります。
その不思議な展開が起きてしまったあたりから、宗介は死後の世界へ少しずつ向かうことになります。
死後の世界と言ってはいますが、どのあたりからそのような話のニュアンスが出てきたのか個人的な考察ですがこのシーンから世界は変わっていたのだと思われます。
崖の上のポニョをわかりやすく解説、考察!
現実と死後の世界
台風の中、リサが猛スピードで車を飛ばして自宅に帰っているシーンで大波が来ているにも関わらず、リサの運転スキルと度胸で乗り切ったシーンがありましたね。
普通、大波が来ているのにあんな猛スピードで車を飛ばして無傷だったなんていうそんなケース信じられないですよね?現実的にいえばそもそもあんな大雨・大波なら間違いなく避難するべきところでしょう。
既にこの時点で現実的ではないシーンでした。
この雨の中、リサは老人ホーム「ひまわり」を心配し、宗介を家に残るように告げて出ていきますが翌朝宗介とポニョが見たのは町は海の中に沈んでいる景色でした。
リサを心配して宗介はポニョとおもちゃのボートに乗ってひまわりに向かう中、たくさんの人が船に乗っている姿や避難中の夫婦に会いますが、既にこの人たちは死んでいて死の世界を目指している途中だったのではないかと考えます。
実際にあの嵐が原因で、人々が死んでしまった描写自体はありませんが町が海に沈んでしまっているにも関わらず登場する人たちは特にパニックになるわけでもなく明るい振舞いで現状を受け入れてることから、作品の後半は全員死んでいる設定なんでしょう。
ポニョの正体と宗介の試練
「ポニョ」という名前は宗介が付けた名前になりますが、本当の名前は「ブリュンヒルデ」という名です。
ブリュンヒルデは北欧神話に出てくるワルキューレの長姉の名前になります。
戦場において死を定め、戦争の勝敗を決める戦乙女とされ戦死した兵士の魂をヴァルハラという宮殿に導き、その魂をもてなす役割を持っているとされています。
簡単に言うと死者の魂を導くのがポニョです。
とても残酷な言い方になりますが、ポニョはあの嵐で出た死者の魂を選別して導いていると捉えられます。
そしてポニョがあるトンネルを抜けると人間から魚の姿に戻ってしまうというシーンですが、あのトンネルも意味があるのではないでしょうか。
ポニョはそのトンネルに入ることを嫌がり「ここ、嫌い」と言い出します。
進めば進むほどポニョは半魚人、魚の姿へ戻ってしまうのですが私としてはこのトンネル自体宗介の試練だったのではないでしょうか?
ポニョの母グランマンマーレは「ポニョの正体を知っても、それでも好きでいてくれますか?」と宗介に質問します。
宗介はトンネルで人間の姿から半魚人→魚になったポニョを見ていながら、変わらず好きでいられるのかどうかというのをあのトンネルで試されたんだと思います。
宗介は元々魚の姿からポニョを見ているので、その姿が変わってもポニョでるあることを分かっていたわけで、今更な質問にも捉えられてしまうかもしれませんが。
その為、もしそのグランマンマーレの質問に対して宗介がポニョのことを「嫌い」と思ってしまうとポニョは死んでしまうところでした。
恐らくポニョはトンネルで何が起こるのか少なからず分かってて、トンネルを嫌がったように見えます。
だとしたらトンネルを通り、宗介が自分のことを嫌いになってしまうようなことがあったらと不安に感じていたのではないでしょうか。
宗介と両親
この作品を観た人達は誰しも気になったことだと思いますが、何故5歳の宗介は両親のことを名前で呼ぶのか気になった人は多いのではないでしょうか?
鈴木敏夫プロデューサーはこう語っていました。
「監督の設定としては、母のリサがそう呼ぶように宗介を育てていて、呼び捨てにさせるのは家族の間であっても、個人として自りするすべき象徴なのだと思います。
もしかしたら、今後の日本の家族の在り方なのかもしれない」
と、話しておりました。
確かに両親を名前で呼び捨てにすることにより、「お父さん」「お母さん」への依存度が低くなって子供が早く自立しやすいのではないかということですね。
この考え方については意見が分かれることになると思いますが、その育て方から自分の住んでいる町が海の中に沈んでいても、母親がいないことに泣き出すこともなく、ポニョと一緒にリサの元へ向かおうとする宗介の勇気は両親の育て方の賜物なのかもしれないですね。
子供が持つ純粋な気持ち
純粋な気持ちが世界を破滅しかけそうになり、純粋な気持ちが世界を救ったお話。
ポニョは宗介に出会ったことで宗介を好きになりました。
そして人間になりたいと願ったことから世界が破滅に向かいますが、宗介のポニョが好きという気持ちがその世界を守りました。
「like」「love」などそういう気持ちがまだ分からない子供たちが持つ純粋な気持ちがたくさん表現されています。
どんな状況であっても、自分たちの気持は変わらないと素直に言えて全力で誰かを好きだと想う気持ちが分かる作品ですよね。
宗介は老人ホームにいるおばあさんたちに金魚の折り紙をプレゼントします。
そのおばあさんの中に「トキさん」というおばあさんが「天気予報なんか当てにならないよ!」とぶつくさと文句を言っているシーンがありました。
宗介は自分のお父さんが乗っている不の折り紙を渡す際に「嵐に負けない船」と言って、天候に不安を感じているトキさんの気持を解消してあげようとします。
教育の賜物だと思いますが気遣いなどしっかり出来ている宗介、周りからしたらトキさんが「また」文句を言っているようにしか見えなくても、子供の宗介からしたら「トキさんは不安になってるんだ」と、ただただ子供ながらに自分が何とかしてあげなくちゃと純粋な気持ちから行動に移せることが出来た宗介の純粋な気持ちが表現されたシーンですよね。
まとめ
つまらないと思われてしまった原因としては、恐らく起承転結が淡々としていたからではないでしょうか?
ここまでの世界観などの話をなかったことにしてしまいますが、そもそもこの作品は特にドキドキするようなシーンも驚くようなシーンも目立つようなところはなかったように感じます。
確かに魔法を使ったポニョが海を走ったりするようなシーンなどはあっても、残念ながらファンタジーとしては足りませんでした。
宗介やポニョが好きな子供たちからしたら共感を得たり、この作品を面白かったというコメントもあるかもしれませんが、大人が進んで観るには物足りないかと。
個人的なことを言うと、確かに宗介とポニョで冒険するような展開もありましたが大きなトラブルなくリサの元にたどり着いたようなそんな展開でしたし、やっぱり異常な状況にも関わらず登場する人たちが落ち着いてその状況を受け入れていることから違和感や何故?というところもあり、「面白かった」とコメントするのは難しいのかなと思います。
「崖の上のポニョ」についてはこちらも見て見みてください。