崖の上のポニョの舞台の街はどこ?広島の鞆の浦がモデル?

邦画

2008年に公開された映画「崖の上のポニョ」
 
 
「崖の上のポニョ」は、ポニョがかわいいスタジオジブリの作品で海辺の街が舞台となっています。フィクションの映画ですが、舞台の街のモデルとなった場所があります。
 
 
この記事では、2008年公開のジブリ映画「崖の上のポニョ」の舞台の街はどこなのかやモデルについて、お伝えしたいと思います。

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宗介の住んでいる場所は?


『崖の上のポニョ』は、5歳の男の子宗介が、魚の女の子ポニョを助けたことから恋に落ちるというお話です。
 
 
この映画のタイトルにもあるように、宗介一家は崖の上にある一軒家で暮らしています。
 
 
緑が多く、自然豊かな場所で生活を送っている様子が作品内では描かれていますよね。
 
 
舞台である町は、ポニョと宗介が出会うシーンなどで度々登場する海があることから、海に面した港町であるということが作品を見ていると分かります。
 
 
また宗介のお父さんは、内航貨物船「小金井丸」の船長をしています。内航貨物船とは、日本国内の貨物輸送に使用される船をいいます。宗介の暮らす町では、港や海がたくさんの船で賑わっている様子が想像できます。
 
 
海があって自然もある港町。時間がゆつくりと流れていそうな、とてもいい場所ですよね。
 
 
実際に『崖の上のポニョ』に登場する場所があればいいのに…とついつい想像してしまいます。
 
 
しかしなんとこの町、アニメの中だけではなく、どうやら実在するようなのです!
 
 
今回は、『崖の上のポニョ』の舞台となった場所がどんな所なのか、またどのシーンがその町に似ているのかをお伝えしていきたいと思います。

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広島県 鞆の浦


どうやら『崖の上のポニョ』の舞台となった場所は、広島県福山市の鞆の浦(とものうら)という所のようです。
 
 
鞆の浦がどのような所なのか調べてみると、映画で描かれている通り、非常に美しい景観の町でした。
 
 
港町である鞆には、古い町並みが未だに残されています。なんと江戸時代の町絵図に描かれた街路が未だにほぼ全て現存しており、江戸時代の町絵図が現代の地図としても通用するとも言われています。そのような町は全国で鞆の浦だけのようです。
 
 
このようなことが評価され、鞆の浦は1992年には都市景観100選に、また2007年には美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれています。
 
 
それに加えて、1927年には日本二十五勝の海岸景勝地として、鞆の浦・屋島・若狭高浜が選ばれました。
 
 
日本二十五勝とは、1927年に大阪毎日新聞社と東京日日新聞社が主催し、日本八景を決めた際に、併せて選ばれた日本を代表する25の景勝地(景色が良く、自然の良い風景を見られる場所)のことです。
 
 
また鞆港は、全国で唯一江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているそうなのです。
 
 
ただ単に景色がいいだけでなく、古くからの歴史を大切にしている素敵な町だったんですね。

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2つの場所の比較


では実際に、『崖の上のポニョ』で描かれる町と、鞆の浦の2つどのような所が似ているのか、映画のシーンを取り上げて見ていきたいと思います。
 
 
まずは映画冒頭に出てくる町並みです。山々に囲まれて綺麗な海と港町が描かれています。これは、まさしく鞆の浦の山から見た町並みにそっくりです。
 
 
またポニョがフジモトに連れ戻される際の、岸のモデルとなった場所もあります。手付かずの自然が美しいですね。
 
 
町の中には、宗介たちが住んでいた家のモデルになったと思われる家もありました。緑に囲まれた中に佇む赤い屋根の一軒家。宗介の家ととても似ています。
 
 
このように映画のモデルとなった風景が、鞆の浦にはいくつか実在しています。
 
 
では次に、映画の中で宗介の父耕一の職業であった内航船について考えてみたいと思います。
 
 
耕一は内航貨物船の船長として働いていますが、実際に鞆の浦の港で内航海運業は行われているのでしょうか?
 
 
残念ながら映画とは異なり、現在では鞆港への商船の出入りはほとんどありませんでした。連絡船や観光船などの船は出入りしていますが、それ以外は漁港として使われるのみのようです。
 
 
しかしそのおかげで、鞆の浦は開発の波を逃れ、古寺が数多く点在する古い街並みを守ることができたといわれています。
 
 
では、そもそも宮崎駿はなぜ広島県の鞆の浦を、この作品のモデルにしようと思ったのでしょうか?
 
 
なんときっかけは社員旅行だったようです。
 
 
広島県鞆の浦に、スタジオジブリのスタッフたちは社員旅行として訪れました。その際、宮崎駿はこの場所が非常に気に入り、その後彼は再び鞆の浦を訪れ、古民家を借りて滞在し始めたようです。
 
 
宮崎駿は長期間の滞在中、宿泊施設や鞆の町を散歩しながら、『崖の上のポニョ』の構想を練ったと言われています。
 
 
また鞆の浦には、宮崎駿自身が設計に携わった宿もあるそうです。

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感想


鞆の浦、とても素敵なところですね。
 
 
『崖の上のポニョ』のモデルとなったこともあり、作品の公開後には観光客が増えたそうです。
 
 
また景観が綺麗なことから、他の映画の撮影地としても多く使われていました。
 
 
そしてなんと鞆の浦観光センターでは、ポニョスポットが紹介されている地図をゲットできるとのことです!
 
 
ぜひこの地図を持って、町を散策してみたいですね。
 
 
ジブリファンの方はぜひ一度、ジブリの世界観を味わいに、広島県鞆の浦に遊びに行ってみてはいかがでしょうか?
 
 
「崖の上のポニョ」についてはこちらも見て見みてください。
 



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