世界仰天ニュース(2020年5月5日)韓国コロナの内容ネタバレと感想

テレビ番組

2020年5月5日(火)放送の「世界仰天ニュース」は、「人間VSウイルススペシャル」が放送されました。
 
 
この記事では、2020年5月5日(火)放送の「世界仰天ニュース」の「人間VSウイルススペシャル」韓国コロナの内容ネタバレと感想について、お伝えいたします。

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「世界仰天ニュース」の韓国コロナの放送内容一覧

【出演者】
 
MC / 中居正広、笑福亭鶴瓶
 
【ゲスト】
 
(リモート出演)山下智久、古市憲寿
 
 
これまでの「世界仰天ニュース」の内容については、こちらを見てみてください。
 

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「世界仰天ニュース」の韓国コロナの内容ネタバレ

新型コロナ 陽性者の真実

全世界を大混乱に陥れた新型コロナウイルス。

去年12月8日。

中国・武漢で発生したと言われてから約5か月。

感染するとどんな症状に苦しむのか?

4月中旬。仰天スタッフは1人の男性に話を聞いた。 

渡辺一誠さん(40歳)

実は彼、新型コロナウイルスに感染し退院したばかり。

自分自身を「潔癖」だったと語る渡辺さん。

そんな自分がコロナにかかるとは思っていなかったという。

それは東京の桜が満開になる頃。

都内でコンサルティング会社を経営している渡辺さん。

コロナの事情とは関係なく、以前から仕事は在宅が主。

出社するのは週に1回程度。

そんな彼に異変が起きたのは、のちに問題となる3連休の最終日。

3月22日の事だった。

この3日前の3月19日には、北海道が独自に出していた緊急事態宣言を予定通り解除。

さらに20日には、春休み終了後に小中学校への臨時休校要請を解除するという政府の方針も伝えられていた。

天気にも恵まれた花見シーズンの3連休。

自粛ムードが緩んだ時期だった。

そんな3連休の最終日。

ミーティングの為、渡辺さんは午前中に出社。

その帰り・・・

ちょっとした違和感に気がついた。

それは寒気と倦怠感。

風邪の引きはじめのような感覚。

普段から健康には気を付けていた彼は、その後の予定をキャンセルした。

そして汗をかくため、いつものように厚着をし、しっかり食べるようにした。

しかし、夜になっても体が鉛のように重く動けなかった。

体調の悪さから39度くらいの感覚があったが、体温はそれほど上がっていなかった。

ふと頭をよぎるコロナの可能性。

彼は不用意に町を出歩いていたわけでも、身近に感染者がいたわけでもない。

なにより常に清潔を保ち、自己管理にも自信がある。

そんな自分がコロナになんて。そう思っていた。

翌朝、だるさはあったが熱は下がっていたので回復していると思った渡辺さん。

だが夜になるにつれ症状は悪化。

39度近くまで熱が上がり、ひどい頭痛に襲われた。

インフルエンザだと思い、翌日会社に休む旨を連絡した。

インフルエンザであれば3日目の今日で落ち着くはず。そう思っていた。

だが、4日たっても症状は変わらなかった。

朝は熱が下がり、回復したかに思えるが、午後から夜にかけては熱が上がり酷く頭が痛む。

前夜の3月24日。
この日、東京オリンピックの延期が決定し、コロナに対する危機感が一気に高まっていた。

もしかして自分も!?

病院に連絡した。

新型コロナの検査は、指定の医療機関でしかできない。

こうして保健所に勧められた病院へ行ったが、2時間待ちだった。

体もつらく、とても待つ気分になれない。

なにより、やっぱり自分はコロナではないかもしれない。そう思った。

そしてそのまま検査を受けずに帰ることに。

その後、テンションを上げようと立ち寄った中華料理店である異変に気付いた。

辛さが売りの麻婆豆腐。

しかし、全く味がしなかったのだ。

何かがおかしい。

翌日、友人に相談すると、コロナ患者の味覚障害の情報を伝えられた。

実はこの頃、阪神タイガースの藤浪選手らが味覚障害から検査を受け陽性であることが判明したと、話題になっていた。

やはり感染している。

そう確信し、すぐに保健所に連絡。

味覚障害や発熱がありコロナに感染している可能性が高いことを訴えた。

病院へはタクシーで向かった。

到着し状況を伝えると、看護師から今後移動にタクシーを使わないように注意を受けた。

この時、初めて自分が感染を広げる側になったことを実感した。

すぐにPCR検査を受けた。

検査はビニールで隔離された場所で行われた。

この時、渡辺さんはタンで検査を行ったという。

結果が出るまで4時間。

入院する可能性も考え一度帰宅。

タクシーは使わず歩いた。

体調も万全ではない中、往復1時間以上かかった。

結果は陽性だった。

そのまま入院することに。

渡辺さんが入院していた病室。

2人部屋を1人で使用し、トイレもシャワーも病室内に。

外に出ることはできない。

入院しても、朝は微熱と倦怠感があり、午後は高熱と頭痛のため解熱剤を処方される日々。

新型コロナウイルスにはまだ治療薬はなく、自分自身で回復するしかない。

一方、若さや体力に自信があった渡辺さんはすぐに回復すると思っていた。

だが、入院3日目。

突如、症状が悪化した。

朝から高熱が出てひどい咳も。

さらに、震えと頭痛で寝ることもできなかった。

食欲も失い、口に出来るのは水だけだった。

新型コロナウイルスに感染すると、一体、身体の中で何が起きるのか?

新型コロナウイルスは、インフルエンザウイルスと比べ、肺にまで簡単に侵入し肺炎を起こしやすいとされている。

そのあと、肺胞の細胞内に入ると数時間に1万個のペースで増殖。

次々に細胞へ感染しウイルスが肺全体に広がりうまく酸素が取り込めなくなるという。

それはまさに地獄の苦しみだった。

それにしても渡辺さんは、いつどこで感染したのか?

入院直後から、その感染経路について細かく聞かれていた。

この時期、繁華街でのクラスターが問題となっていてその調査が念入りに行われていた。

渡辺さんは発病の一週間ほど前に特に外出もしてなく、自分がどこで新型コロナウイルス
に感染したのか、全く心当たりがなかった。
一方でどうしても気になることが。

それは体調を崩す前日。

この日、渡辺さんは気の合う仲間たちと食事をしていたのだ。

もしかして誰かにうつしているかもしれない。

すぐに連絡をとった。

感染していないでほしい。

ただそれだけを願った。

だが、なんと友人2人が陽性。

あの日、テーブルを囲んで食事をし、メニューの回し読み、一つのお皿に盛られた枝豆などを共有して食べた。

KARADA内科クリニック、佐藤院長によると、食べ物に唾が飛んだ飛沫感染の可能性があるという。

さらには、ウイルスについた手で触ったものから接触感染するリスクはあるという。

その後、渡辺さんは友人の家族にも感染が広がったことを知った。

あの日、渡辺さん自身にはなんの症状もなく感染しているという自覚すらなかった。

それでも申し訳なさでいっぱいだった。

高熱に苦しんだ後、少しずつ睡眠もとれるようになり、スポーツドリンクを飲んで味も感じられるようになった。

こうして発症して3週間後に退院できたという渡辺さんだったが、渡辺さんは陰性が出ていなくても退院したという。

理由は病床数の確保のため。

退院後も2週間はとにかく自宅で待機し、症状が出なければ通常の生活に戻れるという。

ある方法で症状が一気に改善したという女性も

グラビアタレントとして活躍する「ソラ豆琴美さん」(27歳)

彼女も陽性と診断され、地獄のような苦しの中、ある決断をした。

27歳の彼女は、感染前こう考えていた。

かかる前は、軽症で若い人はかかりにくいと思っていたという。

3月下旬。
3連休もあり緊張感が薄れた時だった。

アイドル活動をする彼女は、握手会やライブを気をつけながら行っていた。

そんなある日。

突然、何かを詰まらせたような胸の痛みと発熱が。

病院で検査を受けると、陽性が判明した。

4月上旬のことだった。

そして感染後、彼女も症状は悪化。

39度の高熱が続き、息苦しさと胸の痛みが続いた。

「寝たらもう起きられないんじゃないか」という不安と戦っていた。

だが、彼女の場合、「アビガン」という薬で症状が一変したという。

「アビガン」とは抗インフルエンザ薬として2014年に日本で承認を受けた新薬。

新型コロナウイルスへの効果が期待されていて、現在、臨床データの検証が進められている。

実はソラ豆さんは入院当初、医師にこの薬の存在を伝えられていた。

アビガンの処方についてはソラ豆さん自身が決められるということだったが、特に女性は胎児に影響を及ぼす可能性があると使用に気を付けなければならないという副作用の報告もあった。

当初、ソラ豆さん自身の症状も軽く、処方を断っていたが…体調が急変し、アビガンの処方を医師に要望した。

最初は、アビガンの処方を断っていた彼女だったが症状が悪化し、アビガンを処方することに。

アビガンを飲んで5時間ほどで平熱に下がったという。

その後、体調は回復し、2週間の入院を終えて無事退院。

KARADA内科クリニック佐藤院長によると、データはそろってはきているが、アビガンを飲ませなくても勝手に治ったという可能性もあり、アビガンが劇的に回復効果をもたらしたとはまだ言えないのだという。

渡辺さんもソラ豆さんも若く持病も無い。

しかもどこで感染したかも分からない。

高熱や頭痛で苦しんでも軽傷とされている恐ろしい新型コロナの真実。

政府が隠した感染症の真実

自粛生活が続いてる日本とは違い、韓国はこの人通り。

実は韓国は、新規感染者の大幅な削減に成功。

現在、韓国は新型コロナウイルスの収束を迎えようとしている。

韓国で感染者が出たのは日本とほぼ同時期なのになぜ韓国は収束しようとしているのか。

実は、2015年にある感染症が流行し、その対策の失敗が大きく関係していたからだった。

対策本部長もこう詫びている。

「至らない点があったと思います」

その失敗とは?

2015年5月、韓国。韓国仁川国際空港。

68歳の男性が、アラビア半島のカタールから帰国した。

農業関係の仕事をしていた男性はバーレーン、UAE、サウジアラビア、そしてカタールを周り、15日間の滞在を経ての帰国だった。

この時は体調に異変はなかったが、約1週間後の、5月11日。

咳が止まらず、筋肉痛のような症状があった。

ことの時は、風邪くらいにしか思っていなかった。

熱は38度あったので、翌日5月12日に近所の病院へ。

咳止めの薬を処方してもらったが、男性の症状は良くならなかった。

発症から4日目の5月15日。

症状が変わらないため、最初の病院から車で20分程の所にある病院へ向かった男性。

この頃、嘔吐や下痢などの症状も現れていた。

医師の診断は「初期の肺炎」。

その治療と、下痢などの原因を探る検査をかね、そのまま入院した。

実はこの3年ほど前からアラビア半島で恐ろしい感染症が流行していたが、それを疑う事はなかった。 

男性が入院した部屋は2人部屋だった。

もう1人患者がいたのだ。

そして、この入院から恐ろしい感染症が、韓国全土へ広がっていく。

入院して2日後の5月17日。

その詳しい理由はわからないが、男性は平沢(ピョンテく)市の総合病院を退院。

その後、別のクリニックに行くも再び症状が悪化。

大きな病院での受診を勧められ、ソウルで1位を争う財閥系の病院へ。

そこで、これまでのカルテを見た医師は、男性に外国への渡航歴を聞くと、PCR検査を勧めた。

こうして5月19日。

男性の排気管支などから取り出された検体がPCR検査に回される。

その翌日、ついに謎の肺炎が判明する!

男性が最初の病院に行ってから9日目の5月20日。

国立保健研究院で検査の結果、男性の症状の原因は「MERS」であることが判明した。

MERS。「中東呼吸器症候群」

2012年に、サウジアラビアで初めての感染者が出た。

中東地域で患者が多く報告されたことから頭文字をとってMARSと名付けられた。

2012年に初めてサウジアラビアで初めての感染者が出た。

MARSはコロナウイルスの一種で、ヒトコブラクダの体内からウイルスが見つかり、ヒトコブラクダが感染源として考えられている。

2015年5月29日までに1167人が感染し、少なくとも479人が死んでいる。

致死率は、なんと35%にもなるという。

症状は、発熱と呼吸器の異常が主で、ほとんどが肺炎を引き起こす。

さらに嘔吐や下痢などの消化器症状をともなうこともある。

現在もワクチンなどの治療法は見つかっていないため、症状に合わせた療法以外に手段がない。

感染から発症までの潜伏期間は、長くて2週間程度。

男性は中東に出張した際、MERSウイルスに感染したと思われた。

致死率35%を超える感染症の発生。

韓国政府は、ただちに対策本部を設置。
 
感染者の男性を国立中央医療院に隔離しWHOへ報告した。

そして、陽性診断が出た翌日の5月21日に、記者会見を開いた。

この会見が問題だった。

プライバシーを守るため、病院名や患者の居住地は明かさなかったのだ。

この政府の対策が…国民をパニックに陥れることになる。

当時、MERSウイルスは、人から人への感染力は弱いとされていた。

SARSや新型コロナウイルスが2人以上に感染させるのに対してMERSは1人以下。

つまり1人の感染者が誰にも移さないか、感染させたとしても1人・・・ということになる。

これらの情報から、韓国政府は個人情報を公表しなくてもMARSを封鎖できると思っていた。

そこでまず行ったのが、濃厚接触者の検査と隔離だった。

68歳の感染した男性と2m以内で1時間以上接触した人物を探し、PCR検査を行っていったのだ。

そして、衝撃の結果が出る。

検査の結果、男性1人で、なんと妻や同室の男性を含めた28人に感染させていたことが判明した。

一方病院内でも驚くべき指示を下していた。

MERS患者の存在を隠せという指示。

それは何故なのか?

病院関係者によると、MERSという言葉は一切口にしてはいけない。すぐに収まるから患者に知らせる必要はないと言われたという。

MERS患者の家族にもその事実を伝えず、診療を続けるよう指示があったというのだ。

その結果、なんと68歳の男性と同じ8階にいた患者は何も知らされないまま、下の階に移動させられたり、退院させられたりしたのだ。

さらに退院させられない病状の患者は、密かに他の病院へ移送したというケースもあるという。

感染症を抑えこむために大切なことは、発生初期の対策だと言われている。

その初期に情報を隠蔽したのが、明らかな失敗だった。

それにしてもあの68歳の男性はなぜ、28人もの人に感染させたのか?

考えられるのは、68歳の男性がウイルスを多くの人に感染させる体だったということ。

スーパースプレッダー。

なぜそうなるのかはっきりとしたメカニズムは明らかになっていないが、持っているウイルスの感染力が高いことが一因と考えられている。

2003年、SARSでもスーパースプレッダーが確認されている。

その一人、中国・湖南省の医師。

彼は自らの感染に気づかず、香港へ出かけてしまった。

身内の結婚式に出るつもりだった。

そして、宿泊したホテルのエレベーターで恐ろしいことが起こる。

たまたま乗り合わせた6人の人々に感染させたのだ。

そして、この6人の中の3人がスーパースプレッダーが存在していた。

彼らは、ベトナム、シンガポール、カナダに移動し拡散。

このことによって、SARSが世界的流行に繋がったとされている。

韓国初のMERS患者となった68歳の男性が感染させたのは妻や、入院していた病院の同室の男性。

その病院の担当医師や看護師、さらに、信じられないルートからも感染した。

それは68歳の男性と同じ8階に入院していた、ベッドからほぼ動いていない49歳の女性がなぜかMERSを発症した。

彼女は男性と接触した医師や看護師とも、接点はない。

にも関わらず、突如、肺炎を発症し陽性となったのだ。

すぐに調査した。

専門家が注目したのは、68歳の男性が入院していた8104号室の構造。

8104号室は、もともと7人部屋だった部屋を2つに割って使っていたため、通気口がなかった。

その部屋でエアコンが稼働させたため、男性から発せられた感染力の高いウイルスを含んだ空気をエアコンが吸い込み、そのウイルスは、外に出ることなく病院内へ。

その流れを追う実験をしたところ、49歳の女性の部屋にも流れていくことがわかった。

これで空気感染をしたと推測された。

しかし政府は「空気感染の可能性が出てはきたが、確固たる証拠はない」と発表。

検査対象を増やすことはしなかった。

政府の失敗と成功

そして、5月27日。

さらなる感染拡大が始まる。

ソウルで1位、2位を争う財閥系の病院に、ある男性が運ばれて来た。

実はこの男性、あの68歳の男性と同じ時期に2番目に診断を受けた平沢市の総合病院に入院していた。

しかし、接触がなかったため、検査対象とはならず他の病院に移送されていたのだ。

男性は、大病院での検査を勧められ、バスに乗ってソウルへ向かったのだが、ソウル駅でのターミナルで動けなくなり、救急車を呼んでいたのだ。

そして、肺炎と診断され治療が始まったのだが、男性がMERSに感染していたと分かったのは、男性と接触した者たちが倒れてからだった。

しかも、何人も何人も。

そう、この男性もまたスーパースプレッダーだったのだ。

MERSはこの2人のスーパースプレッダーが、感染経路のはじまりに存在したことで、感染者が爆発的に増えたと思われる。

まず、68歳の男性が28人を感染させ、その中の1人の35歳の男性は、患者や医療従事者など、合計85人もの人に感染させたことがのちに分かっている。

しかし、この時、政府が把握していた感染者の数は、なぜか実際よりもずっと少なく、国民は感染の拡大を知らなかった。

それでも、6月1日に最初の死者が発表され、翌日、死者が2人になると、日本や近隣諸国でもMERS上陸を恐れ、警戒するニュースが飛び交い始めた。

この時点で韓国政府の情報は曖昧で、どの病院でどの場所で感染者が出たのかを発表しなかった。

一体それは何故なのか。

そのことについて、元国会議員によると、財閥が運営する大病院への計らいだったという。

さらに当時韓国では、個人を特定する情報を公開することが厳しく統制されていた。

たとえ犯罪者でも実名報道には慎重だった。

多くのメディアは、病院名の公表を自粛。

そんな中、ネットメディアが、MERS患者が発生している6つの病院の名前を独自に報道。

この報道に世論の声が高まり、6月7日。

当時のパク・クネ大統領、政府が動いた。

MERS患者が発生した医療機関の名称と患者の滞在した時期などの詳細をようやく公表したのだ。

こうしてようやく、それらの病院を訪問したことがある人に対しての相談窓口を設けた。

すると、自分もMARSなのでは?と検査を求める問い合わせが殺到。

当然だが検査システムが追いつかなかった。

全国で、約1000の学校が休校になるなど、国民の行動自粛なども加速した。

一方で全国各地の病院で、MERSだと知らないままその患者を受け入れたために、院内感染が多発。

実は、韓国ではMERS感染者数の92.5%が院内感染で広がったといわれている。

院内感染は致死率も高い。
元々重い疾患を持ち免疫力が弱っている患者は、感染すれば重症化しやすい。

入院中だった病室に、知らされずにMERS感染者が入院してきたことで感染してしまい、
亡くなった人たちの遺族は感染を防ぐため、最後の時に立ち会うことも許されなかった。

MERSより患者を救おうとした医療従事者たちも次々と感染。

医療従事者の感染は、全体の13.4%を超えた。

それらの病院は、閉鎖または一部を閉めざるを得なかった。

これにより、感染症以外の患者たちも行き場を失い、いわゆる医療崩壊が起こったという。

6月8日には、釜山市でも感染者が報告され、全国6都市に広がっていることが判明。

ようやく、政府は、地方自治体と連携、隔離室などを作り、さらに、感染者が立ち寄った施設などの防犯カメラを利用し、接触者の特定なども強化した。

すると徐々に感染者が減りはじめ、ようやく新たな感染者はゼロになった。

感染者186名、死者36名が韓国におけるMERSウイルスの被害者の数となった。

MERSの感染者数は、今回の新型コロナウイルスの感染者に比べ少ないのは、MERSウイルスは、重症になりやすく動き回れる状態ではなくなることとされている。

一方で、新型コロナは、軽症者が多く動き回れることから感染拡大の原因とされている。

最初の発症から、およそ7か月。

MERSは、12月24日午前0時に終息宣言となった。

このMERSの経験により韓国の「感染症対策」は急激に強化され、いつ新たな感染症が流
行っても対応できるよう準備されてきた。

それが今回、力を発揮したのだ。

韓国では1日に1万5000件以上の検査が可能となっていて、指定のクリニックは全国600か所を超える。

うち40箇所は、ドライブスルーの施設となっている。

さらに「コロナマップ」と呼ばれる感染者の位置確認も行っている。

これは、「新型コロナ」の感染者が、第1号から順番に番号をつけられ、クレジットカードの利用履歴や、監視カメラの映像などからそれぞれの詳しい移動経路が明らかにされた。

これは政府の公式サイトに掲載され、韓国語のほかに英語にも対応しており、外国人でも見ることができる。

自分が感染者に近づいたかの可能性を知ることができるのだ。

これらの対策が、韓国の新規感染者の数を大幅に抑え込んでいる。

現在、韓国の繁華街ではたくさんの人通りが見られる。

その成果は、いま韓国が新型コロナ収束の日を迎えようとしていることからも分かる。

韓国はあの失敗から多くを学んだ。

一方、日本も韓国のように、今回の経験を次に生かせるような準備はできるか?

テレビの力でウイルスに撃退に成功した日本人

新型コロナウイルスにより延期になった2020年東京オリンピック・パラリンピック。

56年前の東京オリンピックの時も、ある感染症の流行で日本は危機に犯されていた。

そして、1人の男性がテレビの力を使ってその感染症と闘った!

その頃、流行した感染症とは、ポリオ。

急性灰白髄炎と呼ばれ、子供達多発していた感染症。

症状は発熱や下痢から始まり、数日後に血液から脊髄に入り込み、運動神経細胞を破壊することになる。

それにより、手足の筋肉が動かなくなり、麻痺が出る。

やがて、中枢神経まで冒されると呼吸不全に陥り死に至る。

以前、仰天ニュースでは、幼い頃にポリオに冒されて、呼吸が自分の力では出来なり一生をこの鉄の肺と呼ばれる装置の中で過ごした女性を紹介した。

当時、下水の整備が不十分だった日本では、毎年、3千人〜5千人を超える子供達が被害にあった。

日本ではすでにワクチンがあった。

ソークワクチンと呼ばれるものであった。

日本に入ってくる数が足りなかった。

そんな時に、日に衆議院議員でNHKの上田哲記者が、「生ワクチン」の存在をする。

当時、このワクチンを輸入するには政治の壁があった。

生ワクチンが量産できるのは、旧ソ連(ロシア)だったこと、当時アメリカとソ連は冷戦中。

日本は、アメリカ側だったため、ロシアから輸入することをはばかっていた。

そこで、NHK記者の上田は「母親たち」の声で国を動かすことを思いつき、ポリオ日報を作ったのだ。

これが、全国にあるNHKのネットワークを生かし、毎日感染者数を報告する内容だった。

当時上田はこんなことを言っている。

「あえて、大流行と大声叫びあげて勝負するポリオ根絶を目指す。流行だ、流行だと精一杯叫んで見よう」

上田の放送が始まると、母親たちはすぐに反応した。

流行が広がれば、我が子も危ない。

全国で、生ワクチンを求める声が高まった。

その声が政府に届き、動いたのだ。

当時の厚生大臣は、1300万人分の生ワクチンを緊急輸入すると発表。

1961年、6月下旬。

ソ連から生ワクチンが到着。

未就学児の91%に投与。

その効果はめざましく、ポリオウイルスから日本を根絶された。

世論、政治のリーダーシップで感染症に打ち勝ち、1964年の東京オリンピック・パラリンピックは開催された。

鳥が落ちる謎のウイルス

1999年。アメリカ・ニューヨーク。

そこはJFK、ニューアーク、ラガーディア、3つの国際空港に囲まれた、アメリカの空の玄関が集中する街。

その1つ、ラガーディア国際空港周辺のエリアが突如、パニックに襲われた。

記録的な猛暑が続いた8月。

ある奇妙な出来事が起こり始めた。

ある家庭。

ノックのような音がしたので主婦がドアを開けるが、誰もいない。

そしてそこにあったのは、なんとカラスの死骸だった。

その奇妙な出来事は、この家庭だけではなかった。

謎のカラスの死骸が相次いで目撃されていた。

そして、奇妙な出来事は、ついに人間にも。

ニューヨークに住む男性、エンリコ・ガブリエリ。 

夫婦の日課は、夕暮れ時に外で食事をとること。

しかし、この日は夫・エンリコの様子がどこかおかしい。

軽い頭痛と寒気。

ただの風邪と思っていたのだが、39度の高熱にうなされ、大量の汗をかいていた。

翌朝になると症状はさらに悪化。

手足に力が入らず、歩くのもままならない。

やがてエンリコは意識を失い、すぐに病院に運ばれた。

急な高熱と全身の筋肉弛緩。

脳炎と思われたがそれは医師達も見たことのない謎の症状だった。

これが後に、全米を震撼させる出来事の始まりだった。

エンリコが病院に運ばれて数日、同じ症状の患者が、1週間の間に3人も運び込まれていた。

最初の患者、エンリコ・ガブリエリの自宅があるのは、ラガーディア空港のあるクイーンズ区の北部エリア。

3日後に入院した80歳の男性、そして6日後に入院した75歳の男性、3人の住まいは極めて近い。

カラスの死骸が目撃されたエリアとほぼ同じだった。

医師達は3人の共通点を洗い出すため、細かい聞き取り調査を行った。

これといった情報は得られなかった。

唯一の共通点は、皆、日に焼けて体格がいいこと。

しかし、それが何を意味するのか?

最初の患者エンリコが運ばれてから2週間が経過。

人工呼吸器に繋がれ、昏睡状態が続く。

さらに筋肉の衰弱は、体の中心部まで進行していた。

病院内では担当医を集めて会議が開かれた。

何か強力な細菌か、ウイルスが原因だと考えられるが、それを取り込んだ共通の原因はまだ不明のまま。

とにかく根気よく探っていく、という事で会議は終了した。

最初の患者、エンリコが運ばれてから2週間が経過。

人工呼吸器につながれ、昏睡状態が続く。さらに筋肉の衰弱は腕や脚から、体の中心部にまで進行していた。

その一方で、カラスの異常行動は、不気味に数を増やしていた。

カラスの異常行動だけでなく、同様の症状の患者も増えていた。

原因は未だ不明のまま…8月末には、29歳の女性も倒れた。

状況は悪化の一途を辿るばかり。

打つ手なしの医師たちは今までの全サンプルをCDCに送ることに決めた。

CDC。アメリカ疾病予防管理センター。

アメリカ国内において「国民の医師」とも呼ばれるアメリカ最大の保健機関。

その研究・調査能力は世界的に認められており、CDCから発表されるガイドラインは、日本やイギリスなどでも採用され、世界共通ルールとなるほど影響力を持つ組織である。

CDCの研究員達は、頭脳明晰なエリート中のエリートばかり。
すべての患者から採取された血液と脊髄液は、すぐさまCDCに送られ様々な病気の試薬にかけられることになった。

CDCでは、アメリカ国内での感染症に関する試薬を全て保有。

他の検査機関とは比べ物にならないスピードで原因を究明することが可能だった。

CDCは未知の病原体を調べる「感染症捜査官」達を現場に急行させた。

調査チームは、CDCの若手管理官であるデニス・ナッシュと動物の病気の専門家、害虫駆除業者、そしてアメリカ自然史博物館から来た昆虫学者の4人。

それは、見当もつかない病原体を幅広く調査できる訓練されたメンバーだった。

CDCの調査手順は、いわば「しらみつぶし」。

病原が疑われる建物を、1センチ刻みで徹底的に調べ、病気の手がかりになりそうなものを探し出す。

調査は細かな場所にまで及ぶ。

昆虫などの動向を調べたり、ペットや野生動物に異常な行動がないか徹底的に調べた。

彼らは他の患者の家でも同じ手順を繰り返し、一日中調べて回った。

するとある共通点が。

それはどの家庭にも「たまり水」があったのだ。

そんな中、エリア内のある家庭の庭にあったバケツに目が留まった。

3年前からこの場所に置いてある水の入ったバケツ。

ここに大きな手がかりが隠されていた!

ようやく判明した原因。

しかし、水の入ったバケツや雨水をためている場所。

そんな場所にボウフラが沸いていた。

アカイエカのボウフラだった。

アカイエカは、主に家の中など屋内を好む蚊で、日本を始め広く世界中に生息している。
脳炎のウイルスを運ぶことがある種類としても知られている。

病を発症した患者の多くは、趣味がガーデニングや日光浴など、屋外での活動を好む者が多く、その時、蚊に刺され脳炎を引き起こした可能性がある。

詳しく調べると、セントルイス脳炎である可能性が出てきた。

セントルイス脳炎とは、1993年にミズーリ州のセントルイス周辺で初めて確認されたウイルス性の脳炎。

蚊と鳥の間を主に行ったりきたりするウイルスで、感染している鳥を蚊が刺すと、蚊がそのウイルスを受け取り、その蚊が人を刺すと、人の血液中にウイルスを送り込む。

一方、このウイルスは人から人にうつることはなく、蚊や鳥の体は一切発病することはない。

保健局からの報告を受けた翌日には、当時のジュリアーニ市長が会見を開き、その日の夕方にはニューヨーク市内にヘリコプターやトラックを使って、殺虫剤の散布を始めた。

また、アメリカ中に販売されている50万本もの殺虫剤を買い集め、無料で住民に配布した。

その頃、カラスの謎の死は関連づけていなかったが、カラスの死を不思議に思う市民もいた。

すぐにCDCに問い合わせると、カラスの死は偶然の一致、そう結論づけた。

しかし、実はCDCの発表は間違っていたのだ!! 

CDCにより感染症の原因はセントルイス脳炎と結論づけられたが、ある研究者は多きな疑問を感じていた。

なぜ鳥が大量に死んでしまうのか?

10年以上、ブロンクス動物園で病理主任を務めていたトレーシーは、8月の始めから動物園の周辺だけで40羽以上ものカラスの死骸を発見していた。

鳥の大量死と、鳥を媒介するウイルスの突然の発生。

この一致がトレーシーの心に引っかかっていた。

そして恐れていた事態が。
ある日、園内のフラミンゴが2羽が死んでいた。

さらに、白頭ワシやヒメ鵜も死んでいた。

動物達の健康管理を任されているトレーシーは、得体の知れない恐怖を覚えた。
すると、ある驚きの事実に突き当たる。

死んだ鳥は脳と心臓からかなりの出血をしていた。

さらに、死んだ鳥はある共通点があった。

それは、全てアメリカ大陸固有の鳥という事。

他の地域の鳥には免疫があって、アメリカ固有の鳥には免疫がない。

つまり、アメリカにとって未知のウイルスという可能性がある。

一方で、病院に運ばれる患者は後を絶たず、勢いは増すばかり。

そんな中、検査中にトレーシーの助手が誤って鳥の血が付いた針を指に刺してしまった。
急いで洗浄したが…やがて助手は高熱に倒れた。

トレーシーは彼の採血を指示。

謎のウイルスかもしれない。

まず電話をしたのは、セントルイス脳炎と発表したCDC。

これまで動物園で起きたことを事細かく話し、再検査を要請した。

しかし、CDCはトレーシーの要請を聞かず、頑なにセントルイス脳炎と信じて疑わなかった。

さらに、原因は「動物園の衛生状況の問題ではないか?」とまで言われる始末。

CDCの対応に怒りを覚えたトレーシーは、動物医療では最先端を誇る国立獣医学研究所に、死んだフラミンゴと針を刺した同僚の血液サンプルを送り、検査を依頼。

さらに軍の感染症研究所にも、たまたまトレーシーの友人がいたため、サンプルを検査してもらえることになった。

最初の患者、エンリコが入院した日からおよそ1か月。

後から入院した3人の患者はすでに亡くなっていた。

エンリコはわずかに快方に向かっていたが、依然として自力で歩くことはできず、時おり幻覚にも襲われた。

症状を訴えて病院を訪れる市民はますます増え、セントルイス脳炎と診断された患者も40人以上に達していた。

新聞各紙もこの話題を連日大きく取り上げ続け、街はパニック寸前だった。

そして、ついにサンプルを送った国立獣医学研究所から連絡が届いた。

鳥と人間のサンプルから検出したウイルスは一致していた。

同じ頃、軍の施設で働くトレーシーの友人からも、新しいウイルスを検出したとの連絡を受けた。

実はあの時、CDCでもウイルスの検出を試みていたが、サンプル内のウイルスの数があまりに少なかった為、その検出に失敗。

手持ちの試薬による抗体検査だけで、「セントルイス脳炎」という結論を出していたのだった。

そして、9月23日。

エンリコが倒れてから5週間後。

一度は否定したCDCで、ついにウイルスの正体が明らかになった。

それはウエストナイルウイルスというもの。

1937年、ウガンダのナイル川西側地方の女性から初めて検出されたウイルス。

蚊によって移るウイルスの1つで、セントルイス脳炎や日本脳炎などとも遺伝学的に近い。

これまでにイスラエル、南アフリカ、ルーマニアなどで感染者を出すが、重症になることは少なく、またアメリカ大陸に現れたこともなかった。

鳥と蚊の間に感染サイクルがあり、この蚊に刺されることで人にウイルスが感染する。

CDCが発表したセントルイス脳炎では鳥は死なないが、ウエストナイルウイルスでは鳥も脳炎などを発病し、死に至ることも多い。

実はウエストナイルウイルスでは、人がウイルスに感染した蚊に刺されても80%の人は全く症状が出ない。

およそ19%の人は発熱など、インフルエンザに似た症状を発症。

しかし、数日間安静にしていれば、自然に治癒する。

そして1%以下の150に1人がウエストナイル脳炎などの重い症状を発症する。

脳炎を起こすと、意識障害や痙攣、全身の麻痺などが起こり、最悪の場合、死に至ることもある。

この突然ニューヨークで始まった感染は、なんとわずか数年の間に巨大なアメリカ合衆国を横断全米が恐怖の渦にのみ込まれた。

CDCはセントルイス脳炎という誤った発表をしたことで世間から大きな非難を受けた。

しかし、奇跡的にどちらの病気も蚊の退治が一番の対策。

ニューヨーク市の早い対応が功を奏し、被害は最小限に抑えられたと考えられている。

エンリコは3か月の昏睡状態の後ようやく意識が戻り、トレーシーの同僚は高熱だけですぐに回復した。

未だワクチンも治療薬も発見されていないが、なんと新型コロナウイルスで同じみになったあの薬が期待されているという。

ウエストナイルウイルスに効くと言われている薬とは、あのアビガン。

治験はまだだが、その効果が期待されているという。

高校生の発明がコロナから救う?

2015年。

高校生を対象とした世界最大の科学コンテストで、17才の少年が脚光を浴びた。

彼は今、世界中に蔓延する新型コロナウイルスにも有効とされる「あるもの」を発明したのだ。

それは?

その少年は、世界有数の名門・ハーバード大学に通うレイモンド君。

実は彼、生まれながらにして超天才だった。

出身はカナダ南西部の都市・バンクーバー。

1歳で電化製品に興味を持ち、わずか2歳半で、複雑なブロックを組み立てられるように。

そして12歳の時、初めて発明したのが「ウェザーハーベスト」というもの。

なんと、発電機!

これは雨や風、雪で屋根に刺激が加わると発電する仕組みの装置。

雨の音を聞いたら、ふと思いついて作ってみたという。

それからというもの、思いついたアイデアをどんどん形に。

祖母が階段を上り下りするときに辛そうな様子をみて考えた、膝の筋肉アシストサポーター、オゾンを発生させニオイを消すゴミ箱も発明した。

高校に進学すると、もの作りへの情熱は増すばかり。

そんなレイモンド君を育てた両親は、共働きで仕事はどちらも貿易関係。

発明に夢中の息子を、両親は理解していた。

そんな時だった!

世界中から称賛された、あの発明へと繋がる出来事が起きる。

高校生になった頃、エボラ出血熱が発生した。

2014年、西アフリカで流行した伝染症。

感染すると、高熱や頭痛に襲われ、皮膚や口、目、消化管などから出血を起こす。

感染が確認されたのはほとんどがアフリカだったが、致死率が60%以上に及んだことから世界中が恐れた。

レイモンド君は感染症が広がることに恐怖を覚え、すぐに調べてみた。

すると、とあるデータに目が留まった。

2009年に流行した新型インフルエンザのケースでは、感染者が飛行機を利用すると1回のフライトで17人に感染。

2003年に流行したSARSでは3時間のフライトで22人に感染したという。

つまり、感染症患者が飛行機で世界を移動するとあっという間に世界に広がる危険性があるということ。

そこで彼が発明したのは独自の空調システム。

なんと、これで感染症のリスクが大幅に減るという。
 
発明するにあたり、まず調べたのは飛行機内の空気の流れ。

機内には、空調の吹き出し口が上に4方向、排出口が下に1方向あることが分かった。

これを元にパソコンで機内の環境を再現。

すると、感染の原因が判明した。

感染が広がる原因は、機内の空気の流れだった。

となれば、空気の流れを変えるしかない。

その方法を探るべく、機内を忠実に再現した模型まで作って研究に没頭した。

食事と睡眠以外、ほぼ全ての時間を注ぐことおよそ5か月。

試行錯誤の末、たどり着いたのがこの空調システムだった。
この装置を客席の上にある吹き出し口に被せるように設置することで、上から下に空気の流れができるという。

従来の空調だと飛沫が飛び散っていたが、レイモンド君の装置を設置すると、確かに飛沫は他の座席にはほとんど届かなくなった。

これがシンプルかつ画期的な発明と、世界中から注目された。

現時点ではまだ実用化されていないが、新型コロナウイルスの影響で既に興味を示している航空会社も。

この発明でレイモンド君が巨万の富を築く日も、そして感染症から多くの人の命を救う日もそう遠くないかもしれない。

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「世界仰天ニュース」の韓国コロナの感想

今回の世界仰天は、人間VSウイルススペシャルでした。
 
 
日本は、緊急事態宣言も延長され自粛真っ只中ですが、誰が感染してもおかしくない状態の中で、感染者の経験談や、一足先に収束した韓国がどんなことをしていたのかが分かり、勉強になりました。
 
 
また、withコロナという言葉が出てきましたが、日本や世界中の歴史を見ても、人間は常にウイルスと共存してきた背景から、どのようにウイルスとうまく共存していくのか、そこから人間が出来ることは何か?進化を問われているような気がしました。



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